トップ | 下谷万年町物語
昭和21年からオカマたちでにぎわい、電蓄から鳴るタンゴの曲で、ハエがとび交う町でした――。 下谷万年町物語作・演出:岩松了 2012年1月6日(金)~2月12日(日) Bunkamuraシアターコクーン 全てが過激!過剰なエネルギーに満ち満ちた、唐十郎の傑作戯曲!またとないキャストを得て、蜷川幸雄が満を持して挑む!! 63年に劇団「シチュエーションの会」(翌年「状況劇場」に改名)を旗揚げ。翌64年に処女戯曲『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』を執筆。67年、花園神社境内にて紅テントの公演を開始。国外での活動も積極的に行っており、72年に韓国、73年にはバングラデシュ、74年にはレバノン、シリアの難民キャンプにていずれも現地語での公演を行っている。88年に状況劇場を解散、劇団「唐組」を旗揚げし作・演出・出演を務める。97年には横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程教授に就任、05年には近畿大学文芸学部客員教授就任し10年1月まで務めた。また、小説家としても数多くの作品を発表しており、83年には「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞している。 55年に劇団青俳に入団し、67年に劇団現代人劇場を創立。69年「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。72年演劇集団『櫻社』結成、74年同劇団を解散後「ロミオとジュリエット」で大劇場演出を手掛けるようになる。以来、名実共に演劇界の第一人者として活動し続けている。また、ヨーロッパをはじめアメリカ、カナダなど行った遠征公演を通じて海外でも高い評価を得ている。88年『近松心中物語』の第38回芸術選奨文部大臣賞をはじめ受賞歴多数。92年には、英国エジンバラ大学名誉博士号を授与された。また、84年に始めた『蜷川スタジオ(ニナガワカンパニー)』では若手の演劇人たちと共に、積極的に実験的な演劇作品を生み出し続けている。06年、彩の国さいたま芸術劇場で55才以上の演劇集団『さいたまゴールドシアター』、09年に若手俳優育成プロジェクト『さいたまネクスト・シアター』創設。現在、Bunkamuraシアターコクーンと、埼玉県芸術文化振興財団の芸術監督に就任している。近年の主な演出作品に、「血は立ったまま眠っている」「ファウストの悲劇」「ガラスの仮面―二人のヘレンー」「聖地」「じゃじゃ馬馴らし」「美しきものの伝説」(10)、「ミシマダブル『サド侯爵夫人』『わが友ヒットラー』」「たいこどんどん」「血の婚礼」(11)などがある。 あらすじ昭和23年。上野と鴬谷の真ん中に位置する<下谷万年町>。住みついた男娼たちでにぎわい、電蓄から鳴るタンゴの曲で、ハエの飛び交う八軒長屋造りの町。上野を視察していた警視総監の帽子が盗まれる。犯人は不忍池の雷魚と呼ばれるオカマのお春率いる一味らしく、お春のイロだった青年・洋一【藤原竜也】が帽子を持って逃げている。それを追う破目になったのは、洋一と同じ6本目の指を持つ不思議な少年・文ちゃん【西島隆弘】。洋一と文ちゃんが出会った時、瓢箪池の底から男装の麗人、キティ・瓢田【宮沢りえ】が現れる。彼女は戦争中にはぐれた演出家の恋人(もう一人の洋一)を探していた。キティは、洋一、文ちゃんと共にレヴュー小屋「サフラン座」の旗揚げを決意する。それぞれの物語は、瓢箪池の中で時空を越えて交錯し、思わぬ結末に向かっていく―!! |