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日蓮聖人の年表|日蓮聖人の生涯|仏教の教え|日蓮宗ポータルサイト

44歳から61歳1歳から43歳

1222年貞応元年

1233年天福元年

1237年嘉禎三年

1238年暦仁元年

1242年仁治三年

1253年

建長五年
日昭入門

1254年

建長六年
日朗入門

1258年正嘉二年

日興入門

1260年文応元年

1261年弘長元年

1263年弘長三年

1264年文永元年

小湊誕生寺 ◆2月16日安房国小湊(千葉県鴨川市)に誕生。
幼名を善日麿といいます。

◆清澄入山、道善房(天台僧侶)に師事

5月12日、父母の元を離れ近くの天台宗清澄寺(千葉県鴨川市・現在は日蓮宗)で仏道修行に励むこととなった日蓮聖人は、この寺で4年間、寝食を忘れて学問や修行に打ち込みました。
そして虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となし給へ」(清澄寺大衆中)と祈願されました。

清澄寺 千年杉

◆出家得度

天台宗清澄寺の道善房を師として正式に出家し、名を「是聖房蓮長」(ぜしょうぼうれんちょう)と改めました。

◆鎌倉遊学へ出発。念仏及び禅を修学。

◆鎌倉遊学より清澄山へ帰還。
『戒体即身成仏義』を述作。さらに比叡山へ遊学。園城寺・高野山・天王寺で学んだと伝えられます。

◆立教開宗

4月28日早朝、清澄山の旭森(あさひがもり)山頂に立ち、太平洋から昇る朝日に向かって声高らかに「南無妙法蓮華経」と初めてお題目を唱え、ついに立教開宗の宣言をされると共に誓願を立てられたのです。この頃名を「日蓮」と改められました。

立教開宗

◆鎌倉において辻説法を開始したとされています。

◆岩本實相寺(静岡県富士市)にて一切経を閲読したとされています。

◆『立正安国論』を述作。松葉ヶ谷法難

7月16日、『立正安国論』を著し、宿屋入道を介して前執権で幕府最高の実力者である北条時頼に上申しました。『立正安国論』が奏進(そうしん)されて約40日後の8月27日幕府や念仏批判に恨みを持っていた僧らにより、松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされましたが難を逃れました。

松葉ヶ谷法難

◆伊豆法難

5月12日、日蓮聖人は、反感を持つ者の讒言(ざんげん)により捕らえられ、伊豆の伊東へ流罪の難にあわれました。

伊豆法難

◆伊豆流罪赦免(2月22日)

◆小松原法難

11月11日、檀越の招きに応じ東条の松原の大路にさしかかった日蓮聖人一行は、地頭の東条景信(とうじょうかげのぶ)の軍勢に襲撃され、弟子一人は討ち取られ、二人が重傷を負い、自らも眉に三寸(9cm程)の疵(きず)を受け、左の手をうち折られました。

小松原法難

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