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【インタビュー】石原詢子ニューシングル「風花岬」 風花をテーマに儚く散った愛を歌う“詢演歌”

  • ️Wed Aug 14 2024

 初めて自分が作詞作曲を手がけ、昨年リリースしたシングル「五島椿」が大好評の石原詢子。7月10日に発売したニューシングル「風花岬」も母親の旧名である、いとう冨士子名義で、自ら作詞作曲を手がけている。詩吟の師匠だった父から教わった伝統の心を大切にしつつ、演歌を歌い続ける彼女に、新曲制作についてのエピソードや歌手としての思いを聞いた。

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■故郷の山から舞い落ちる風花にインスピレーションを得て

「詞を綴るようになってから、たとえば小説を読んでいるときなど、ふとした折に心に残った言葉を書きとめるようになりました。風花という言葉が目に入ってきたのは、昨年の冬前くらいのこと。その言葉を見た瞬間に故郷に舞う風花が思い出されました。私が生まれ育った岐阜県揖斐郡池田町には“ぎふ百山”の1つに数えられる池田山があります。快晴なのに小雪がちらちらと風に乗って池田山から舞い降りてくる風花の光景は、幼いころから何度も見てきて脳裏に焼きついていたんですよね。そんな故郷の風花をイメージしつつ、青い海、青い空、そして儚く散った愛を詞に紡いでいきました」

 当初、石原は詞のみを作ることになっていたのだが、彼女の中で曲のイメージがあると聞きつけた制作ディレクターの提案で、メロディも石原が手がけることになったという。

「メロディを制作するにあたって、最初は口三味線で『ラララ~♪』と歌ったものを録音しておきます。それからピアノで弾いて、試行錯誤を繰り返していくのですが、たとえば寝る前に『いいフレーズができたぞ!』と録音しておいても、翌朝聴き返してみると『これはないな』と思うことが多いんですよね。結局、最初に1曲を通してあらかた歌いきれたメロディに決まることがほとんどです。今作は、ちらちらと舞い落ちる風花が手に乗る前に溶けてしまう、その儚さを歌の中で表現できたらいいなと考えて、スローテンポでマイナー調の曲に仕上げました」

 レコーディングは手探りで、ディレクターと二人三脚で進め、“詢演歌”が誕生した。

「作詞・作曲の先生にお願いした歌なら、レコーディングのときに同席される先生の指示を仰げばいいのですが、前作に続いて今作も自分で作った歌なので、何が良くてどこがダメなのか、その塩梅がわからなくなってしまいました。もちろん頼もしいディレクターはいますが、『これでいいのかな?』という葛藤はつねにありましたね。実際にレコーディングのときは、歌の先生がいたらこんなアドバイスをしてくださるのではないかと想定しつつ、自分で歌を作ったときの思いを振り返りながら盛り上げたいフレーズなどを確認して、自分の気持ちを正直に表現したいなと思いをめぐらせて歌いました。やはり、苦しみを味わいつつ、完成していく過程をすべて自分で見てきた楽曲には、また違った形の愛情が芽生えますね」

 神秘的なミュージックビデオ(MV)は、意外なテーマで作られた。

「今回のMVのテーマは“深海”とのことでして……。『風花岬』という歌ですから、私はキラキラと光る風花が舞い落ちるMVをイメージしていたので、『なぜ深海!?』と疑問を抱きました。実は今年の私のカレンダーの5・6月の写真が、髪の毛が濡れていてムーディーな感じのショットで、それを見たソニー・ミュージックのプロデューサーが『海の中の石原詢子で決まり!』と考えたらしく、”深海“がテーマになったんです(笑)。液体窒素で凍ったバラが砕けるさまで失恋の哀しみを表現しました」

 ジャケットとMVで着用した着物は、鮮やかなブルーが印象的だ。

「衣装については、当初は洋装のみの予定でしたが、前作の『五島椿』も洋装だけだったので『着物を着させてください!』と懇願しました。ブルーの着物は、数年前に岩本公水ちゃんと呉服店に行ったときに購入したものです。作中に出てくる青空という言葉から、鮮やかなブルーが印象的で柄もモダンなこの着物がピッタリだと直感しました」

 ジャケットには、イメージに合わせて自ら筆をしたためた歌のタイトルが彩られている。

「今作のイメージなら自分で筆を取りたいと思ったのですが、『風』という字には苦戦して、20~30回ほど書きました。でも、いちばん難しかったのは『石原詢子』という字(笑)。『風花岬』よりも『石原詢子』のほうがたくさん書きました」

 カップリングは、菅麻貴子作詞、杉本眞人作曲の『母春秋』が収録されている。

「2016年にリリースしたシングル『化粧なおし』を作曲してくださった杉本眞人先生には、同時に3曲作っていただきました。そのうちの1曲が『母春秋』なのですが、楽曲の制作過程で杉本先生とお食事した際に『どんな曲が欲しい?』と聞かれたことがあったんです。それに対して私が『先生の代表作である「吾亦紅」を超えるような母の歌が欲しいです!』と答えたら、『あれ以上の曲はできないよ!』なんて言われてしまって(笑)。そんな冗談を言いつつ、亡き母の思い出を杉本先生にお話ししたら、『いい詞があるよ』と先生がおっしゃって、後日でき上がってきたのが『母春秋』でした。配信ではリリース済みなのですが、やはりCD化しようということになりまして、今回カップリングに入れました。私の母にも、みなさんのお母様にも当てはまる歌になっていると思います」

■愛し愛されながら美しい日本語の歌を伝えていく

 彼女の歌には、幼少期から培った詩吟の影響が色濃く映し出されている。

「詩吟の師であり父でもある揖水流家元の長女として生まれて4歳から厳しい指導を受けました。2018年には、亡き父の遺志を継いで演歌歌手としての活動を続けながら東京と大阪を拠点に詩吟教室を開講しています。詩吟は、民謡や浪曲に並ぶ日本の伝統文化のひとつです。日本語には独特の美しさがあって、その美しい日本語に節をつけて朗々と吟ずるところが詩吟の魅力なんですよね。私の歌にも、詩吟の経験が大いに生きていると実感しています。美しい日本語の言葉を伝える歌手として、今後も頑張って歌っていきたいと思います」

 そんな彼女は、伍代夏子部長率いる「美魔女艶歌卓球部」の一員として、6月下旬に石川県珠洲市で能登半島復興支援コンサートを無料で開催した。

「私が能登を訪れたときは今年の元日に起きた能登半島地震から半年が経っていました。復興はだいぶ進んでいると思い込んでいたので、まだまだがれきが残っている街の様子を見て言葉を失ってしまいましたね。復興にはまだ時間がかかりそうだと実感しましたし、被災地から離れて暮らしている私たちができることはあるのだろうかと考えさせられたりもしました。でも、コンサートに来てくださったお客さまが、笑顔で私たちをお迎えしてくださったんです。かえって私たちが元気をもらった感じもしました。先日伍代部長とお会いして、この先も卓球部でできることをやっていこうと確認し合ったところです」

 歌で観客に笑顔をもたらす石原自身は、3匹の愛猫に日々癒されている。

「実は、幼いころは父が犬派で柴犬を飼っていたんです。でも、19歳のときに猫の里親募集の張り紙を見て、一目散にもらい受けに行ってからすっかり猫派に変わりました。いまは、折れ耳のだいずと立ち耳のきなこ、末っ子のあずきの3匹に癒されています。出かけるときに『行っちゃうの?』っていう顔をして、帰ってきたときにはうれしそうに駆け寄ってくるのがたまらないんです! 私のYouTube『詢ちゃんねる』にも3匹が時々登場しますのでぜひ覗いてみてください」

 シンガーソングライターとしての経験を重ね、故郷や両親、そしてファンのパワーに支えられ、歌手として円熟味を増した石原詢子。その切ない歌声は、ひらりひらりと舞う風花のように、聴き手の心にそっとやさしく語りかけるだろう。

文・森中要子

<作品情報>
石原詢子「風花岬」

2024年7月10日発売
品番:MHCL-3094/価格1,500円(税込)

【収録内容】
1.風花岬 作詞:いとう冨士子 作曲:いとう冨士子 編曲:若草 恵
2.母春秋 作詞:菅 麻貴子 作曲:杉本 眞人 編曲:佐藤 和豊
3.風花岬(オリジナル・カラオケ)
4.母春秋(オリジナル・カラオケ)

■石原詢子 プロフィール:
1968年1月12日生まれ。岐阜県出身。詩吟揖水流宗家の長女として生まれ、のちに詩吟の師範代となる。1988年10月21日に「ホレました」で歌手デビュー。2000年、2003年には『NHK紅白歌合戦』への出場を果たす。2023年にデビュー35周年を迎え、同年5月に“いとう冨士子”名義で作詞、作曲した通算41作目のシングル「五島椿」に続いて、「風花岬」も自身で作詞、作曲を手がけた。岐阜県 ひだ・みの観光大使、五島市ふるさと大使、新上五島町観光物産大使も務めている。

■石原詢子 公式ホームページ:https://junko-ishihara.com/