(14)香川の岬めぐり 見えてきた芸術祭の原点 | 瀬戸内物語 北川フラム | 四国新聞社
- ️Tue Dec 02 2025
(14)香川の岬めぐり 見えてきた芸術祭の原点
2012/02/25
この2月の週末、本島、五色台、小豆島を巡りました。会議や勉強会、打ち合わせ、講演をはさみながらですが、五色台に桜吹雪のような雪が舞い、小豆島の山あいが雪化粧するさまは、非日常的な美しさでした。「今歳(ことし)瀬戸内如月(きさらぎ)のなどかくは美しき」と嘆ずるほど。
丸亀沖の本島では二度目の打ち合わせでしたが、地元の塩飽勤番所や歌舞伎舞台「千歳座」、笠島まち並保存地区などの往時をしのばせる貴重な文化財や落ち着いた佇(たたず)まいがあり、塩飽舟の大工技術の名残などの豊かな資産があるうえに、生業(なりわい)である漁業があり、引き網の体験もあり、「釣りだって教えられるぞ」「食べ物だってなかなかのものだよ」と大いに盛り上がりました。民宿もできそうです。さらに植樹参加も多いし、耕作放棄地もなんとか再生できるようにしたいと展望は広がっていきます。
丸亀市議の岡田健悟さんが熱心に話を引っ張ってくださって、芽出しができてきました。話を伺っていて、地域の生活と伝統の上に新しい交流の場をつくっていきたいという初心の気持ちをあらためて思いました。
小豆島では、港や学校などのポイントを贅沢(ぜいたく)にも「岬めぐり」でまわりました。現代の忙しい人間である私たちは、目的地まで直線で行くことに慣れてしまいました。これでは島は、なかなか分かりません。日本という列島全体を知るのも同じことで、少しでも海から見れば、初めてやってきた古代の冒険者たちの感動が分かろうというものです。海を移動して陸地に上がり、掘っ立て小屋を造り、植物を植える。列島を、こうして祖先たちは遡上( そ じょう)していったのです。岬めぐりには、海と陸地とのつながりを知る喜びがあります。昔、山本コウタローさんが歌いました。
♪
あなたがいつか 話してくれた
岬を僕は たずねて来た
二人で行くと 約束したが
今ではそれも かなわないこと
岬めぐりの バスは走る
窓に広がる 青い海よ
小豆島には高尾山、吉田富士、寒霞渓、洞雲山、白浜山などの山があり、それらは海からのランドマークであり、豊かな自然を育む里山でもありました。島はもちろん、香川全体には多くの山があり、人々の生活と深く結び付いていました。丸亀市綾歌町での講演に向かう旅では高鉢山、大高見峰、猫山、城山を見ることができ、低い山だけに人々の暮らしとの関わりの強さと多様さが分かります。まこと讃岐は人と自然が深く結び付いています。
今回の旅では、その中でも小豆島の「長崎のしし垣」が面白かったのです。全長200メートルにわたって、イノシシ・鹿・猿を防御する土塁が造られ、現在も一部が残っています。「猿なんか喜んで登れるぞ、鹿だってひとっ飛びだ、賢いイノシシだったら迂回(うかい)するぞ」と思うように、今は崩れ途切れていますが、かつては総延長が120キロもあり、これなぞは江戸期の農民の万里の長城にも匹敵する自主的土木工事ではなかったのでしょうか。
しかし何といっても驚いたのは、五色台の「瀬戸内海歴史民俗資料館」でした。木々に埋もれながら、イスラムに対抗したバルセロナの竜屋根の城のように、地元産の石組みからなる城壁のような空間は、この国の民俗資料館としては傑出した内容と気持ちの良さを持っていました。集められた木造船の木組みを見れば、海を渡った冒険者たちが立派な船大工だったことが知れます。罠(わな)や網やモリに応用されている技術も並大抵のものではなく、機能的で美しいのです。それらの技術が里山での農業とつながっていることがよく分かりました。
この資料館が瀬戸内国際芸術祭の出発点だと思いながら、桜吹雪のような雪が乱舞する坂を下り、大崎鼻から岬をめぐって瀬戸内の海を見渡す至福に、しばし酔うほどの旅ができたことを報告しておきましょう。
(アートディレクター)